吉野家と言えば牛丼じゃないか
最近は仕事の都合で外食するとき、吉野家に行くことが増えた。
学生時代から吉野家の牛丼をよく食べた。BSE問題で米国産牛肉の輸入がストップし、牛丼が食べられなくなるときは、吉野家、松屋、すき家を巡って「さよなら牛丼パーティー」を妻と二人でやったこともあった。その後、やむなく豚丼を食べてみた時期もあったが、吉野家のカウンターに座るのであれば、男は黙って牛丼を頼みたいものだと勝手に考えている年末である。ただ、黙っていては注文出来ないので、せめて「牛丼の並盛りをください」と言おうと心に決めている。
120キロの巨漢が今日の主役
先日昼飯を吉野家で済ませた。私は決まって、牛丼の並盛り、つゆだく、卵、味噌汁をオーダーする。紅ショウガを多めに盛る。そして食べる。鰻丼やプレーンカレーを吉野家で食べたいとは思わない。
(吉野家のメニューはこちら)
私が注文を済ませたあたりで、体重120キロを超えようかという巨漢がやってきて私とカウンターを挟んだ斜め向かいに腰を下ろした。目つきが鋭いあんちゃんなので、意外と筋肉質なのかもしれない。いや、目つきが鋭いからって筋肉質とは限らない。坊主頭がよく似合っていた。
注文を聞きに来た店員に巨漢は、ちょっとだけ困った表情で「大盛り」と、ぶっきらぼうに一言だけ言ったが、その直後、かしこまりました~と立ち去る店員に、「やっぱり、並盛りでいいわ」と注文を訂正した。これもぶっきらぼうな物言いだった。
どうやら、注文時に"ちょっとだけ困った表情だった"のは、「並盛りと大盛りのどちらを頼むのか」を悩んでいたからのようだ。カロリーを気にしていたのかもしれないが、何を今更、120キロの巨漢が小食でどうする。食え、山ほど食え。特盛りを食え。食ってくって食いまくれと、私は彼の背中を押してあげたかった。しかし、昼飯に何を食べようと個人の自由である。私に巨漢の食生活に立ち入る権利はない。
「これ牛丼じゃねーか」
そんな悔しい思いを本当に私が抱いたかどうかは別として、巨漢の前には、悩み抜いたあげくに注文した並盛り丼が運ばれてきた。実にめでたい。巨漢もきっと喜んでいるだろう。大盛りを我慢して並盛りを頼んだのだ。きっと旨そうに食らうに違いない。味わって食べるに違いない。私はそう確信していた。
ところが巨漢は、丼に視線を落とすと「これ牛丼じゃねーか」と一言。「おれが頼んだのは豚丼だ」と店員に文句を言い放った。なんという口の利き方だ。この巨漢がただ者ではないことはうすうす感じていたが、まさかここまでの巨漢だとは思いもしなかった。
ただそれよりも、巨漢にとって吉野家の丼メニューの基本が、豚丼だったことに愕然とした。吉野家はそもそも牛丼屋ではないか。豚丼屋じゃない。遠い遠い昔に豚丼を出していたかどうかは知らないが、数年前までの吉野家に、牛丼以外の丼メニューはなかったじゃないか。私は思わず巨漢にこう抗議をしようかと思ったが、これはきっと米国産牛肉騒動の余波なのだなと納得して、異議を唱えるのはよした。
店員は波風を立てぬよう、落ち着いた口調で詫び、すぐに豚丼の並盛りに交換した。もしこのとき店員が「うちは牛丼屋です。並盛りとだけ言われたら牛丼を持ってくるに決まっているでしょうが。そんなことも分からないのか。このブタ野郎!」と反論していたらと思うと、今でも恐ろしくなって一人で風呂に入って、目をつぶって頭を洗えないんじゃないか。後ろに誰かいるんじゃないかと思ってしまうほど怖い。
人間離れした態度は神様の証なんだ!
さて、念願の“豚丼”の並盛りを完食した巨漢の暴挙はまだ続いた。会計のために財布をから取り出した小銭を投げたのである。なんたる愚行。金銭を投げるとは言語道断である。贅肉はたっぷりだが、脳みそは足りなかいようだ。人間離れした巨漢の態度に動じることなく、丁寧な接客に終始していた吉野家の店員はえらい。
たかが牛丼一杯、いや、この巨漢は豚丼だった。たかが豚丼一杯で、ここまで図々しくなれる奴がいたものか。ちなみに巨漢は、470円の会計にきっちり520円を支払っていた。そこまで不遜な態度を取っておきながら、釣り銭を50円玉でもらおうなんて、人間には必ず意外な一面があるものだと納得した。お客さまは神様と言ったものだが、昼飯470円の豚丼(サラダとかも食ってたよ)で、神様っぷりを遺憾なく発揮した巨漢に恐れ入ったランチタイムだった。
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